俺がなんか思い付いたら書き込むスレ
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#92 [ごま]
人間は常に終末に怯えている。
毎朝枕に落ちた髪の毛を見ながら、寝間着のスウェットのゴムの上に乗った腹を見ながら、迫りくる禿げた小太りの将来に怯えているのである。
ヤングメンはそういった終末に怯えている。しかしながら一番怖いのが「可愛い彼女との終わり」。
例えば一つ恋が終わったとする。
男はその終わりを受け入れられず、女はすぐに新しい恋に向かう。男は名前を付けて保存、女は上書き保存とはよく言ったものだ。まあ個人差は多いにあるだろうが。
:16/12/02 21:16
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:7Yu5yVlo
#93 [ごま]
ある日、後輩が言った。
「彼女ができて、今までで一番可愛くて、めっちゃ自慢ですよ〜!」
知性が微塵もないトーク。
「今までで一番」そう認識したときに男は恐ろしく守りの体制になる。もう二度とこんな子とは出会えない、終わりが怖いのである。
今までで一番、だとか絶対別れたくない。それ自体がその時期のみの思い込みだったりするのであるが、思ったら最後、終末に怯える毎日が始まる。
今を楽しむ女の感性、終わりを憂う男の感性。映画「キッズリターン」の最後にこんなシーンがある。
「俺たち、もう終わっちゃったのかな?」
「バカヤロー、まだ始まっちゃいねえよ」
もしかしたらまだ始まってすらいないのかもしれない。そう思い込むことこそが終わりを恐れない唯一の方法。抜け毛が凄くてもこれは生えかわりの途中、太ってきてもこれは数年後スリムボディになる助走、この恋愛はこれから最高のものとなるための準備。
終わりを恐れないことこそ宿題を後回しにして今日遊ぶような今を楽しむ唯一の方法なのかもしれない。
ちなみに後輩は別れて廃人みたいになった。
:16/12/02 21:17
:PC
:7Yu5yVlo
#94 [ごま]
『粗チン哀愁交差点』
迷惑メールボックスは大体1日200件くらい来る。
「ペニスが、たった1ヶ月で最大+7センチ!」
こんなタイトルのメールがあった。迷惑メールにそういうのはつきものだが、7センチは相当ハッタリが効いている。
例によって使用者のコメントがある。
『2ヶ月で5センチ大きくなって、しかも極太に!』26歳会社員
いつも思うが、こういうのは律儀に毎日測っているのだろうか。
『1ヶ月で3センチ大きくなったので目標は3ヶ月で10センチです!』19歳学生
一度急成長すると歯止めがきかなくなるらしい、ちょっと怖い。
『2ヶ月で7センチアップ!太さもパンパンに!今では周りでも2番目に大きいです!』25歳無職
でかくなったってのはいいが、周りってのはなんだ。しかも無職で…。無職だけどペニス比べ仲間はいるらしい。
ともあれ、数ヶ月で5〜7センチは大きくなるらしい。ここまで急激に成長したら気が動転してチンコにご飯でも食べさせてしまいそうだ。
:16/12/04 21:24
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:vpbI6SlY
#95 [ごま]
しかしながら簡単に大きくなるという謳い文句に興味を持たない男はいないだろう。この広告のうまいところは7センチで止めているところだ。
「たった1ヶ月で95センチも大きくなった!」これでは逃げ腰になる。
昔、根元を切ってエクステンションで大きくする、という手術法があったらしいが、流行らなかったらしい。そりゃそうだ。想像するだけで息子がレーズンくらいのサイズに縮み上がる。
なぜそこまでして…と思うが、そこでその手術をした男ってのはいずれ成功を収める気がする。そもそも、そういう広告に興味を持つ男なんてのは粗チンであり、人間としての器もコンタクトレンズくらいしかないのである。
もし、ビッグコックだったらそんなみみっちいことは考えずに、不動産でも転がしながらでっけえブランデーグラス片手にホステス嬢の乳を揉んでるだろう。
これは大げさでもなんでもなく、チンコの大きさは、性格や趣向に後天的に作用すると思う。絶対に人をネガティブにする要素だ。もし何も才能がなくてもチンコさえ大きければ…さぞ幸せだろう。
大きなベッドを取り囲む女たち、左の女は銀の器から巨峰を一粒取り俺の口に運ぶ、右の女はでかい葉っぱのようなうちわで俺をあおぐ、石油王のような生活。そんな妄想をしてしまう。
:16/12/04 21:25
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:vpbI6SlY
#96 [ごま]
以前、友人(粗チン)と相席居酒屋なるところに行った時に元風俗嬢の子と相席になった。相当可愛い。
とりあえず俺はそういう場ではこう聞いてみる。
「どんな人が好みなの?」
「えっと…あそこが小さい人が好きかな…」
…え?つまみの枝豆をつついていた俺達は思わず顔を上げてしまった。
「私、あそこが小さくて、大きい人だと痛くて気持ちよくないんですよ」
俺達は天に拳を突き上げ涙を流した。脳内BGMはQUEENのwe are the championsだ。そして、風俗に来る男ってのはせめたがりが多いらしく、客に苦情も言えず結局やめてしまったらしい。
ざまーみろ!巨チンとそれ好きの女ども!
「君は、選挙に出たほうがいいよ…今の話をすればきっと、トップ当選だ」
その日の枝豆は心なしかいつもより塩辛く感じた。
下世話なちょっといい話である。
:16/12/04 21:25
:PC
:vpbI6SlY
#97 [ごま]
『私がおじさんになっても』
男の恐れるもの、それは「おじさん」になること。女も、容姿の衰えなどはあるだろうが、男にとっての「おじさん」とは「その他大勢」に埋もれていくことに他ならない。年をとってもおじさんと言われないような人はその他大勢に含まれないような素敵な光を放ち続けている。未来を見ている。
大方の男は自分はまだまだ若いと思っている。若者とおじさんの明確な年齢的な線引きはないからだ。
そこでだ、オナニーについて考えてみる。世間一般では軽蔑の対象とされがちだが、オナニーほど自己が投影されるものはない。何せ自慰(自分を慰める)なのだから。それもほぼ全員の人間はしてるだろう。女は知らんが、希望ではみんなしていて欲しい。
「何を考えてオナニーするか」、ここに若者とおじさんの境界を見出してみる。
ここでいうオナニーはいわゆるオカズがない状態と仮定して欲しい。想像でセンズリをする、つまりイマジネーション・オナニー、通称「イマセン」の状態だ。ちなみに紙媒体でオナニーする時はカミセン(Coming century)という。
:16/12/05 21:01
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:LX9lBVtA
#98 [ごま]
まず、思春期のオナニーについてだ。みんなも思い出してみてほしい。
クラスの好きな子であったり、好きなアイドル、要は「ヤりてえあの子」を想像していたと思う。つまり「ヤったことない子と想像でヤっていた」のだ。
しかし、大人になるとどうだろう、イマセンの時に限っては「今までヤったあの子」を想像していないだろうか?これは単に性的な経験の量に依存するわけではないと思う。今「まだ見ぬあの子」とのセックスはイマイチ想像できないのである。
想像力の低下か、実体験の強さか、想像より感触の思い出の方が上回ってしまうのである。
たとえば音楽の嗜好だってそうだ。以前は知らない音楽を漁り、飛びついたものだが、いつしか知ったものを掘り下げていく幸せを覚える。「知らない事の恐怖」の呪縛から解放されるのである。若ければ若いほど無知は怖い。子供は背伸びしたがり、なんでも欲しがるが、大人はいらない情報はいらないと学ぶ。
「未知の感覚」と「既知の感覚」どちらに感動するかが若者とおじさんの線引きなのではないか。
:16/12/05 21:01
:PC
:LX9lBVtA
#99 [ごま]
夢と希望に溢れた未来を抱きオナニーをする者と、情報と現実を踏まえた思い出を抱きオナニーをする者。思い出オナニーに重きを置く人間はいくら年齢が若かろうと「おじさん」なのである。
この趣旨で行くと「おじさん」はすごく後ろ向きでつまらない人間のように思うがそうではない。「好きだった女」という感情はいずれ薄れていくが、「いい塩梅の女」という感情は薄れていくことがない。いつまでもHDD画質で鮮明に脳内に刻み込まれる。そして、思い出イマセンをする時に頻繁に出てくる人間が「すごく好きだった人」であるとは限らないのがこの話の味噌であり、深いところなのではないか。
いい女とは何か。長年大恋愛をしたからいい女とは限らないし、ひと晩限りの関係だったから大した女じゃないとは限らない。記録より記憶に残る人こそ「いい女」であり、もう一度会いたいと思う人なのではないか。もちろん夜の関係以外も含めてだ。
記録の女はいずれ消えていくが、記憶の女はいつまでもイマセンの中で生き続ける。
オモイマセンされる女、男はいい女であり、いい男である。そして男はオモセンをすることで「おじさん」となるが、「若者」の頃に知り得なかった愛を知るのである。
:16/12/05 21:01
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:LX9lBVtA
#100 [ごま]
jpg 51KB
:16/12/05 21:03
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:LX9lBVtA
#101 [ごま]
『幸福論』
人間観察が好きー、とか言ってる奴が居る。いわば自称人間研究家。人間を研究する上で一つのテーマは「人間はどうあれば幸せなのか」である。
いろいろな尺度があるだろう。愛、富、名声、平和、豊かなペッティング…
そこで持論から言えば幸せとは「人間観察をしない」ことに起因すると思う。
深いように見えて浅いのが人間、深いかと思ったらせいぜい「箱の中はなんでしょう」とかそういう箱程度の深さなのである。大したものは入っていないのに必死になって見えない中身を探る。
だが、そんな箱なら「ドキドキして楽しかったねー」で終わるが、人間観察の先には絶望しかない。つまりは幸福になるためには無頓着でないといけないのである。
例えば、誰かが嘘をついたとしよう。人間研究家はそれに気づく、そして傷つくだろう。好意を抱いている相手ならなおさらだ。だが、それに気づかない人間がいる、それがここでいう「幸せな人間」なのである。安易だと思うだろうが、つまりは幸せなんてもの自体が安易で軽薄なものなのだとも言える。
:16/12/06 21:49
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:jzJha6i6
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