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#37 [新参者◆HeyRIdy3RY]
唯心論(ゆいしんろん、英: Spiritualism)とは
人間・社会において、心、もしくはその働きこそは至上の要因であるとする存在論における立場の一つ。
その反対が、唯物論になる。
認識論上の立場の一つである観念論としばしば混同される。
なお、仏教の唯識論と似ているが最終的な点で異なる(後述)
:15/05/05 21:38
:P01B
:w7hmHwj.
#38 [新参者◆HeyRIdy3RY]
唯物論に対し理想主義とされる。
心やその働きはあくまでも物質に還元されない独特な性質を持っているとして、物質的存在がその存在を容認されるのは意識によるものである。
したがって意識が存在を決定づける。これが唯心論である。
:15/05/05 21:39
:P01B
:w7hmHwj.
#39 [新参者◆HeyRIdy3RY]
これら思想は、古代のプロティノスに起源をもち、中世ではアウグスティヌスに見られ、近世ではライプニッツ、ヘーゲル、ショーペンハウアーなどがその説を引き継ぎ、また展開してきた。
これらはキリスト教とともに西洋を支えてきた理想的な哲学思想であったが、ヘーゲルは一方で唯物弁証法、また一方で実存哲学を自らの否定反抗として自らの中より生ぜしめたことなどから、近代に至っては観念論や理想主義でしかないという批判を生むことになった。
:15/05/05 21:39
:P01B
:w7hmHwj.
#40 [新参者◆HeyRIdy3RY]
なお、東洋、特に仏教にも華厳経に唯心(三界唯一心)が説かれたことから、唯識論が生れている。
しかし仏教ではその識(心の作用)も仮のもので夢幻の存在(空)であるとして否定する。
ここにおいて唯心論と唯識論は最終的に異なる。
:15/05/05 21:40
:P01B
:w7hmHwj.
#41 [新参者◆HeyRIdy3RY]
唯心論は、物的なものなどは心の影にすぎず、存在するのは心のみであるという非常に勇敢なテーゼです。
この潮流はあまり私は詳しくはありませんが、実際に唯心論を表明したものはフランスの哲学者を除き、かなり少ないと思います。
日本語のWIKIの説明では、プラトン、カント、ロック、が含まれるとありますが、私はそうは思いません。
プラトンは洞窟の比ゆにもわかるように、われわれがみている感覚世界は、単に洞窟の中で火にてらされたものに過ぎず、外的世界そのもの(プラトン的形相)ではないといっていますし、カントは物自体というわれわれの認識とはなれた存在者があるという議論をしています。
ロックなどは、ガリレオ、デカルトから強い影響を受けていて、一次性質と二次性質の区別にみられるように、認識を離れた外的世界の実在にコミットしているのは明らかです。
唯心論は思うに、マルクスが対立するヘーゲルやそれ以前の観念論者の立場を嘲るときに都合よく利用されてきた蔑称であり、実際に、唯心論というものに積極的にコミットした人はかなり少ないと思われます。
:15/05/05 21:44
:P01B
:w7hmHwj.
#42 [新参者◆HeyRIdy3RY]
:15/05/05 21:44
:P01B
:w7hmHwj.
#43 [新参者◆HeyRIdy3RY]
コギト理論に近いよなって思ったけど、難しいなぁ・・・
消化不良になりそ・・・
:15/05/05 21:47
:P01B
:w7hmHwj.
#44 [新参者◆HeyRIdy3RY]
『純粋理性批判』は、17世紀ドイツの哲学者のイマヌエル・カント(1724年〜1804年)による著作だ。1781年に発表された。
カントの主著には、本書に加え、『実践理性批判』と『判断力批判』がある。それぞれの著作が哲学の主要テーマの真善美に対応しており、本書は「真」をテーマとする認識論だ。
批判とは「吟味」のこと
批判といっても、カントは別に理性を悪く言うわけではない。カントは本書で私たちの認識可能な領域の限界線をハッキリさせることで、普遍的な認識、つまり共通了解がどこまで可能であるかを明らかにしようとする。その意味で批判とは徹底的な「吟味」のことを指していると言っていい。
なぜ認識の構造を見て取ることが普遍的な認識につながるのだろうか?カントには次のような直観があった。もし人間に共通の認識構造を見出すことができれば、たとえ世界それ自体がどのようなものであろうとも、普遍的な認識が成立するはずだ、と。
カントの認識論は一般に、デカルトやスピノザの(大陸)合理論と、ロックとヒュームの(イギリス)経験論を統一して打ち立てられたとされる。こう並べられると合理論と経験論は対立しているように見えるが、ともに意識の内側を探求することによって普遍的な認識の可能性を探究したという点で深く共通している。カントはまさにこの点を合理論と経験論から受け継いだのだ。
:15/05/05 21:53
:P01B
:w7hmHwj.
#45 [新参者◆HeyRIdy3RY]
では具体的にどのような認識構造なのか?
以下、カントの議論を確認してゆくが、その前にまずカントの示す認識構造について確認しておこう。
カントによれば、人間の認識は、以下のような構造の「装置」を通じて作り上げられる(構成される)。
感性 → 悟性 → 理性
ただ、これだけでは何がなんだか分からないので、それぞれについて詳しく見てゆくことにしよう。
カントの議論を追っていくと、様々な概念がいくつも出てくる(物自体はまだいいほうで、カテゴリー、図式、判断力、先験的理念など、哲学史上カントしか使ったことのないような概念が山ほどある)。しかし全体の大枠をつかむためには不要なものもあるので、概念の多さに戸惑わないでほしい。本書の白眉は何と言っても「アンチノミー」に関する議論だ。悟性と理性の関係に着目して読むと、カントの熱さを感じられるはずだ。
:15/05/05 21:54
:P01B
:w7hmHwj.
#46 [新参者◆HeyRIdy3RY]
(1)感性:データを採取し、直観を供給する能力
カントは次のように言う。
私たちは感官を通じて対象を認識する。対象が心を触発することで、その対象は私たちに与えられる。その際に重要な働きを行うのが
感性だ。
感性は外部データを採取し、直観を私たちに与えてくる能力だ。感性を通じて、対象の色や形といったデータが、私たちに与えられる。感性がなければ、そもそも対象を知覚することも認識することもできない。
対象は、感性を介して我々に与えられる、また感性のみが我々に直観を給するのである。
また、感性は時間と空間を形式としてもつ。感性は、それらに規定された状態のもとで、外界のデータを取得するのだ。
:15/05/05 21:55
:P01B
:w7hmHwj.
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