待たせたな
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#61 [新参者◆HeyRIdy3RY]
カントは、自然法則によって規定されず、ただ理性の自由によってのみ規定される意志を「自由意志」と呼び、この自由意志が道徳の本質的な条件であるとする。つまりカントは、道徳も私たちの意識にあらわれてくる現象として捉えるのだ。
:15/05/05 22:13
:P01B
:w7hmHwj.
#62 [新参者◆HeyRIdy3RY]
カントの認識論の妥当性
カントの文章はかなり込み入っていて読みにくいが、議論の軸はそれなりにはっきりしている。
人間の認識は、感性によって与えられる知覚をもとにして構成される。それゆえ感性によって捉えられない対象は認識できない。その一方で、理性は全体的な理念を描く。理念は、世界の全体性を経験的に説明するためには役立たないが、理性を実践的・道徳的に活用するための指針としての価値をもつ。
こうしてカントは、哲学の問いの重心を認識論から倫理学にぐっと移行させた。このことが哲学の歴史においてもつ意味は大きい。
ただ、カントの認識論に戻ってみると、そこに問題が無いわけではない。
どうすれば物自体が存在すると言えるのか?
本当に感性・悟性・理性の3能力で認識が構成されているのか?
カントは、物自体を感性によって捉えることはできないと言う。しかし人間の認識構造が感性→悟性→理性の形式をもっているのであれば、一体どのようにしてカント自身、物自体が存在することを知ったのだろうか?カントも人間である以上、感性によって得られたデータをもとに認識を作り上げるのだから、物自体が存在することは分からないことになるのではないだろうか?
:15/05/05 22:15
:P01B
:w7hmHwj.
#63 [新参者◆HeyRIdy3RY]
カントは、認識は感性→悟性→理性と装置を介して作り上げられるとする。しかしニーチェの言うように、私たちには意識現象が与えられているだけなので、何が認識を作り上げているかに関しては推測することしかできない。カントは物自体と認識構造の両方をともに独断的に示しており、自分の経験にもとづいて記述しているわけではない。それゆえカントの議論は物語としての性格を帯びてしまっている。カントの影響を強く受けたフッサールは、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』で次のように言っている。
カントは、彼の読者に対して、彼の遡行的方法の成果を直観的な概念に翻訳することを拒み、根源的で純粋に明証的な直観から出発して、真に明証的な一歩一歩を辿ることによって、前進的に理論を建設しようとする試象を拒んでいる。それゆえに彼の超越論的な諸概念は、原理的な理由からして決して明確に言いかえることができず、また決して、直接的な明証性を与える意味を形成するにいたりえないような、まったく独特の不明確さをもっている。
とはいえ、意識の内側における世界の現れに着目することが、世界それ自体を直接探求できると信じる態度に対して方法的な優位をもつというカントの直観が正当なのは確かだ。カント自身が証明したように、世界それ自体のありようを検証しようとする試みは、最終的に世界の全体像をめぐる解決不能なアンチノミーに行き着かざるをえないからだ。
:15/05/05 22:18
:P01B
:w7hmHwj.
#64 [新参者◆HeyRIdy3RY]
:15/05/05 22:21
:P01B
:w7hmHwj.
#65 [新参者◆HeyRIdy3RY]
流石に胃もたれしたわ
二律背反のアンチノミーは純粋理性批判の材料だったのかな?
二律背反自体は、純然たる意思に依って生まれる背反する意思みたいな事だったような
:15/05/05 22:24
:P01B
:w7hmHwj.
#66 [新参者◆HeyRIdy3RY]
今日はもう無理だな
このままじゃ頭ぱっかーんするわ
:15/05/05 22:26
:P01B
:w7hmHwj.
#67 [新参者◆HeyRIdy3RY]
よっこいしょ
:15/05/06 19:34
:P01B
:/tlHk2zI
#68 [元祖観客さ〜ん]
はじめまして
:15/05/06 19:46
:305SH
:TSiaxsA2
#69 [新参者◆HeyRIdy3RY]
さよなら
:15/05/06 19:52
:P01B
:/tlHk2zI
#70 [腐ったサイババ]
はじめまして
:15/05/06 20:19
:N01F
:DAIjAvhA
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